「トロールの森2009」特別な1日
仲世古佳伸




先週の土曜日(11月7日)に、富田俊明のワークショップ「善福寺公園&最悪ガイドツアー」に参加してきた。
来日したアーティストの集団に混じったせいか、何か海外の旅行のツアーに参加しているみたいな気分だった。ツアーの中身はと言うと、ただみんなでゆったりと、公園の内を散歩していくだけのことで、特別何が起きるということのない内容なのだが、日常というのは、それだけで意味があるのだろう、好奇心と創造力を日常に放り投げてやるだけで、特別何も起こらない1日が、「特別な1日」となって、意味のあるカタチをつくっていくのだ。
普通に公園を散歩している人にとっては、公園内に設置された、谷山恭子のぶどうや、カトリン・パウルのビニールハウスを見て、「これは何だろう」と思い、一方のツアーのぼくらは、カブトムシの幼虫を土に返す親子や、南米帰りの日曜画家や、自閉症のアヒルなんかと遭遇することで、それぞれが、日常の奥底をのぞき見ようと真剣になっていくのだ。お互いの好奇心が交錯していて、興味深い体験をさせてもらった。富田のツアーの体験を最悪と感じるかは、この次のツアーにあなたも参加してみるしかないのだが、何も起こらないのもハプニングであれば、何が起きるかもしれないのもハプニングなので、けっして油断してはいけません(笑)。

年齢が重なるとますます時間の経つのが早くなるが、一説によるとそれはだんだんと好奇心を失っていくからだという。子供のときは時間が長かったのは、毎日毎日が世界の発見だったからだ。
野外アート展でぼくが「トロールの森」に興味をもつのは、地方の自然の中で開催されるサイトスペシフィックなアート面だけでなく、都会という時間の概念が、ここにあるアート作品にかさなっているように思えるからだ。
それは、「自然の中のアート」という姿だけではなく、「都市と自然の境界にあるアート」という風景を立ち上げているように思えるのだ。コンビニとケータイのコミュニケーションが24時間稼働し続ける同じ空間の内に、善福寺公園という自然が共存する時間との対話こそ、今後トロールの森の重要なテーマになっていくように思う。

常に速度を強いる都会人の時間をいたわるように、最初からこの公園はあった。それでも都会に住むぼくらの好奇心と創造力を充たし、特別な1日をつくることの力がアートにはあるのだという、このささやかな投げかけを続けていくことを、今後も見守っていければと思う。

仲世古佳伸(なかせこけいしん)
アートプロジェクター/トロールの森2009アドバイザー

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